リバイバル商法

投稿日:2013年11月7日 更新日:

デジタルカメラ

一眼レフがAF化される以前、露出の決定は軍艦部にあるシャッタースピードダイヤルとレンズ側にある絞りリングを操作して行うのが当たり前であった(オリンパスのOMだけはちょっと特殊で、シャッタースピードダイヤルもマウント基部にあった)。これは一眼レフがこの世に登場して以来、何十年と変わらなかった普遍的な操作性である。

この方式の利点は、数値がダイヤル上に直接刻まれているために電源が入っているか否かにかかわらず(そもそも昔のカメラは電源さえ必要としなかったが)現在の設定状況を一目で確認・変更でき、またどちらへ回せばどのように変化するかも直感的に把握できることにある。自分は現在でもこの方式が最も優れたインターフェースであると信じて疑わない。


ところがAF一眼レフが登場したあたりから、この伝統的なインターフェースに代わって電子ダイヤルと液晶表示による操作が主流を占めるようになった。最後まで絞りリングを残していたニコンもGタイプレンズ登場とともに絞りリングが消え、完全な電子ダイヤル操作に置き換えられた。この方式の利点は中間シャッタースピードを設定できたり、露出補正など他の用途にも転用できることだったのだろう。しかしメーカー側から見れば、部品点数を減らしてコストダウンを図ることが本当の狙いだったことは間違いない。それはデジタル時代になってさらに顕著になる。

この方式の最大の欠点は、電源が入っていないと現在の設定状況が何もわからなくなってしまうことにある。またダイヤルには数値が刻印されず単なるクリックに過ぎないから、どちらへ回せばどのように変わるのか直感的に把握しづらい。ダイヤル操作は常にデジタル信号に置き換えられ、電子的に制御されるわけだから、絞りやシャッターにつながるメカを直接動かしているという実感がまったくない。また絞りやシャッタースピード以外の他の操作にも流用されているから、何をするにも「ボタンを押しながらダイヤルを回す」操作を強要され、非常にわずらわしい。これが伝統的なインターフェースより優れているとは絶対に思わない。

フィルム時代、電子ダイヤルと液晶表示によるインターフェースが一般的になっても、伝統的なダイヤル式のカメラが復活したことがある。それがペンタックスMZ-3だ。中身は最新のAF一眼レフだが、露出決定は従来通りのシャッタースピードダイヤルと絞りリングで操作する方式になっており、当時としては画期的なものだった。シャッタースピードダイヤルと絞りリングにはそれぞれ「A」のポジションがあり、シャッタースピードダイヤルをAにセットすれば絞り優先AE、絞りリングをAにセットすればシャッタースピード優先AE、そして両方ともAにセットすればプログラムAEになるという非常に合理的な仕組みであった。この方式であればモードダイヤルという無駄なものも要らなくなる。このカメラはかなり売れたようで、それなりに需要があったことは確かである。自分はそれが欲しくてペンタックスに憧れ続けた。

そしてデジタル時代になって初めてダイヤル式のインターフェースを復活させたのがフジのX100であった。これが登場したときは狂喜したファンも多いだろう。自分もこのカメラは高く評価している。なぜかといえば、完全なダイヤル操作を貫いたからだ。レンズの絞りリングも復活させた。MZ-3と同じく、ダイヤルにはAポジションが用意され、シームレスにモードの切り替えを実現している。モードダイヤルが存在しないところが非常に美しい。背面の液晶を除いてはフィルムカメラと見分けが付かないほどであり、ようやくこういうデジタルカメラが出てきたかと歓喜したものである。単なる懐古カメラに成り下がらない実用性が高い次元でバランスされている。ただし残念だったのはその価格。当時この手の復古調カメラは他にはない唯一無二の存在だったから、おっさんがよだれを垂らして飛びついてくることは確実であり、強気のボッタクリ価格になってしまった。当然、自分には手も足も出ない。

一方で先日発表されたニコンのDf。発表前はFMの再来か?と噂されていたが、フタを開けてみると非常に残念なカメラに仕上がっていた。巷ではいろんな反応があるだろうが、自分にはまったく魅力を感じない、しょーもないカメラになった。なぜ残念なのかを一言でいえば、「中途半端」ということに尽きる。つまり万人受けすることを狙ってあれもこれも詰め込みすぎた結果、結局どういう層をターゲットにしているのかわからない製品になってしまったのである。その象徴が前面と背面の見た目のギャップだろう。なるほど前面から見ればMF一眼レフ風だが、背面から見ればD600あたりのデジタル一眼レフと何ら変わらない。しかも軍艦部にはモードダイヤルとサブ液晶、電子ダイヤルまで付いている。それがいかにも折衷的であり、ダイヤル式カメラになり切れなかった中途半端さを物語っている。

そうせざるを得ない理由はわかる。まずニコンはGタイプレンズで絞りリングをなくしてしまったから、どうやっても絞りは電子ダイヤルで操作せざるを得ない。またシャッタースピードダイヤルは1段刻みだから、中間シャッタースピードを設定するために「1/3 STEP」というポジションを設け、電子ダイヤルで操作するという苦肉の策を編み出してしまった。これなどはかつてLUMIXがL1でやったように、中間クリックを設ければいいだけなのにと思う。その結果、操作系がアナログダイヤルと電子ダイヤルの2系統に分かれ、非常に複雑になってしまった。これはもはや機能美にはほど遠く、ただ見苦しいだけのものである。

ニコンはDfの開発に当たって、どういう層をターゲットにしているのか考えたのだろうか? こういうカメラを欲しがる層というのは、一言でいえば「限りなくフィルムカメラに近い操作感」を求めているはずだ。言い換えれば「不便さを楽しみたい」変人なのである。ニコンはそこを完全に勘違いしたとしか思えない。あらゆる層に受け入れられるように便利機能を「全部入り」にした結果、結局フツーのデジタルカメラになっちゃった。

自分ならどうするか?を考えてみよう。まず背面をゴチャゴチャさせるだけのAFは要らない。こういうカメラを欲しがるユーザーはMFを楽しみたいはずだから、うんと見やすいファインダーを用意してあげるだけでいい。そして露出モードは絞り優先とマニュアルの2つだけでいい。F3みたいにシャッタースピードダイヤルにAポジションを設ければ、モードダイヤルなんて要らなくなる。理想を言えばシャッタースピードダイヤルは半段刻みにするのが望ましいが、別に1段刻みだって構わない。昔は無段階に調整できる絞りで微調整していたのだ。現状では絞りリングがないから仕方ないが、絞りだけ1/3段刻みの電子ダイヤルにしてマウント基部に設ければそれっぽくはできる。連写も要らないなぁ。もっと言えば液晶モニターを取っ払ったっていい。フィルム時代は写っているかどうかわからなかったのだから、家に帰るまで見られなくても別に構わないだろう。そこまで無駄を削ぎ落とせばシンプルで美しいカメラになる。そしてかなり安くできるであろう。

そこまで割り切らなければユーザーの心をつかむモデルにはなり得ないのだ。もしかすると開発現場のレベルではそう思っている技術者も多かったのかもしれないが、上層部が「そんな極端なモデルが売れるわけがない。もっと万人に受け入れられる仕様にしろ。」とケチを付けたのだろう。ここが日本企業のダメなところなのだ。とにかく上層部がクソすぎる。よっぽどお節介なのかもしれないが、便利そうな機能をてんこ盛りにしないと気が済まないらしい。その結果、カドの取れた無難な製品しか出てこないのだ。結局、日本のカメラメーカーはどうやってもライカにはなれないのだろう。

Dfの価格がいくらになるか注目されたところだが、案の定というかとんでもないボッタクリ価格を付けてきた。本体のみ28万円とな・・。それってD800より高いじゃないか。スペック的にはD600以下なのに、この価格はボッタクリ以外の何物でもない。もちろん、その付加価値はダイヤル式操作と復古調デザインということなのだろうが、それだけでD600より10万円以上高くなるなんてどう考えてもふざけている。もちろん、これもおっさんが食いつくことを狙ったのだろうが、こんな値段じゃコスパ度外視の大金持ち以外、誰も買わないよ。自分ならいくら金があっても普通にD610を買うよなぁ・・。無理してまで欲しいと思わせるカメラじゃない。

考えてもみた方がいい。昔の一眼レフはすべてダイヤル式だったが、わずか数万円で買えたものだ。ダイヤル式だから高くなるのではなく、競争相手がいないから価格を吊り上げているだけの話。これだけの金を出さなければダイヤル式カメラが手に入らないことに怒りを覚える。ニコンはダイヤル式で直感的な操作が可能であることを盛んにアピールしているが、それって言い換えれば「昔の方が良かった」と言っているに等しいと思う。そんなに良いというなら、今からでもすべてのカメラをダイヤル式に戻せ! 過去の時代のものをさもありがたそうに祭り上げ、不当に価格を吊り上げるという商法はおっさんの弱みにつけ込んでいるようで許せない。

余談だが、最初にリバイバル商法をやったのはオリンパスのはずだ。E-P1でPEN風のデザインを取り入れ、E-M5でOM風のデザインを取り入れた。オリンパスが始めたものは不思議と流行る(笑)。でもあれは操作性を復活したのではなく、単にデザインを真似ただけだから論外。中身は一眼レフですらないただのミラーレスカメラだ。そういう意味ではフジやニコンとは次元が異なり、比較すること自体が失礼といえるだろう。でもただのハリボテでもあのデザインにコロっと逝っちゃうおっさんがいることを知っているから、オリンパスはボッタクリ価格を付けてきた。やっぱりボッタクリの元祖はオリンパスだった。(笑)

デジタルカメラもそろそろやることがなくなってきたから、おっさんの心をくすぐる懐古趣味に走るしかなくなっているのだろう。こういうリバイバル商法が出てくること自体、末期症状だと思う。買い換えさせることでしか生き残れないデジタルカメラは持続可能じゃないのだ。こういうことをやっていると、日本のカメラ産業の終焉は近い。

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