写真は解像度だけじゃない

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Pentaxにはまともな標準ズームというものが存在しないため、広角側で満足な描写を得るためには超巨大なSIGMA 17-50mmF2.8EX DCに頼らざるを得ない。いくらデカくて重くても、K-30を使うときはこのレンズとのセットがデフォルトになってしまう。ついこの前もDAL 18-55mmとの圧倒的な描写力の差を確認したばかりだから、今さらDAL 18-55mmを使うなど意味のないことに思えてくる。描写を犠牲にして軽量化するくらいなら、比較的写りの良いE-PL2とM.ZD 14-42mmのセットの方がまだマシと考えられるのである。

K-30が車でないと運べない巨大カメラになってしまうと、結局はE-PL2ばかり持ち出すようになってK-30の出番がなくなる。あ、これどっかで通った道じゃないのか? そうD7000と同じ運命をたどるのだ。そもそもなぜD7000、あるいはNikonを捨てなければならなかったのか?

まずD7000はデカすぎる。レンズがないので手持ちのAF-S Nikkor 24-85mmを使っていたが、この組み合わせだと優に1.2kgを超える。筋トレにはちょうどいい重さだ(笑)。かといってD5x00やD3x00クラスだと、ファインダーが小さくて操作性が悪い。つまりNikonにはカメラ趣味人が満足できる軽量システムを組むラインナップが存在しないのだ。D7000はボディー自体がデカいため、いくら単焦点を使おうが小さくはならない。ここが致命的だった。

そこで目を付けたのがK-30だった。軽量でありながらペンタプリズム使用のファインダー、2ダイヤル操作系にボディー内手ぶれ補正を内蔵している。これぞ理想的なスペックじゃないか。標準ズームもフォーサーズ並みにコンパクトだし、Pentaxお得意の単焦点を使えばもっと小さくもできる。この「小さくしようと思えばできる」というところがD7000との決定的な違いなのである。

だからSIGMA 17-50mmを買っても、小さくしたいときはDAL 18-55mmでいいんじゃないの?と思っていた。それならE-620 + ZD 14-42mmとほとんど変わらない重さだから、どこへ持ち出すにも邪魔にはならない。しかしその標準ズームの写りがピリッとしないのだ。特に18mm端において・・。これはきっとE-PL2 + M.ZD 14-42mmの方が良いなという確信があった。それならわざわざでかい一眼レフを持ち出すまでもなく、ミラーレスで十分ということになる。そこでまた解像感を厳密に比較してみた。

E-PL2 M.ZD 14-42mmF3.5-5.6II 広角端 f5.6
画像解像度:1460 LW/PH
光学解像度:56.2 LP/mm
ナイキスト周波数に対する割合:48.28%
実効画素数:2.84 Mpixels

K-30 DAL 18-55mmF3.5-5.6AL 広角端 f5.6
画像解像度:1386 LW/PH
光学解像度:44.1 LP/mm
ナイキスト周波数に対する割合:42.46%
実効画素数:2.63 Mpixels

E-PL2 M.ZD 14-42mmF3.5-5.6II 中間域 f5.6
画像解像度:1298 LW/PH
光学解像度:49.9 LP/mm
ナイキスト周波数に対する割合:42.92%
実効画素数:2.25 Mpixels

K-30 DAL 18-55mmF3.5-5.6AL 中間域 f5.6
画像解像度:1540 LW/PH
光学解像度:49.0 LP/mm
ナイキスト周波数に対する割合:49.68%
実効画素数:3.41 Mpixels

E-PL2 M.ZD 14-42mmF3.5-5.6II 望遠端 f8
画像解像度:1552 LW/PH
光学解像度:59.7 LP/mm
ナイキスト周波数に対する割合:51.32%
実効画素数:3.21 Mpixels

K-30 DAL 18-55mmF3.5-5.6AL 望遠端 f8
画像解像度:1472 LW/PH
光学解像度:46.9 LP/mm
ナイキスト周波数に対する割合:47.79%
実効画素数:3.08 Mpixels

全体的に数値が低いのは、テスト画像に空の部分が多いからであって、それは当然の結果。同じ条件で比較するならば相対値にのみ意味があって、絶対値は関係ない。この場合、画素数が16MPと12MPで異なるから、「実効画素数」で比較するのが適切である。同じサイズにプリントした場合、実効画素数が大きいほど高い解像感が得られることになる。

すると予想通り、広角端ではE-PL2に負けた。目で見てもE-PL2は隅々まで画像の崩れがなく、精細感が高い。一方、中間域~望遠端ではほぼ互角かK-30の方が上回る。やはりDAL 18-55mmは35mm付近の描写力が優れている証拠だ。

M.ZD 14-42mmはどの画角においても周辺まで画質が安定しており、そういう意味では非常に使いやすい。でもDAL 18-55mmだってダメなのは18mm端だけであって、24mm以上ではそこそこまともな写りをする。特に35~50mmではSIGMA 17-50mmと張り合えるくらいの描写力を持っている。さらに言えば、18mm端でも本当にダメなのはf7.1以上に絞った場合の遠景だけだ。これは例のピント移動によって手前側にピントが来るためで、中心はシャープになるが周辺が甘くなる。f6.3以下で使えば遠景でも問題ないし、近景なら絞ってもOKだろう。要するにダメなのは一部の限られたケースだけであり、それをわかった上で使うならば運用でカバーできる範囲である。

では仮にM.ZD 14-42mmと同等の描写力だったとしよう。それでもより軽量なE-PL2の方を使うか?という問題である。ここでやっと本題が出てくる。

つまり解像感だけ見ればE-PL2とほぼ同等、もしくは少し劣るのだから、わざわざでかい一眼レフを持ち出す理由はないという結論になってしまう。しかし写真は解像度だけなのか? そうじゃないんだ・・

E-PL2の絵に漠然と抱いていた不満、それは「薄っぺらさ」じゃないかと思う。非常に比喩的な表現だが、そうとしか言いようがないのだ。他によく言われる表現では、「懐の深さ」があるが、その表現を借りれば「懐が浅い」絵ということになるのだろう。

物理的な特性でいえば、この「絵の厚み」あるいは「懐の深さ」というのは「階調性」になるのだろうと思う。階調の豊かな写真には奥行きを感じ、階調の乏しい写真には薄っぺらさしか感じない。そして結局のところ、この階調性の豊かさはセンサーサイズに比例するものと考えられる。つまりマイクロフォーサーズよりもAPS-C、APS-Cよりも135の順に階調は豊かになるはずなのだ。いくらセンサーが進化しようとも、この物理的なサイズだけは越えることができない壁として存在する。

最もわかりやすい例がコンデジだ。そこそこ良いレンズが付いた高級コンデジであれば、厳密に比較してもマイクロフォーサーズやAPS-Cと遜色のない解像度は出せると思う。しかしコンデジの絵は明らかに薄っぺらい。コンデジの絵だとすぐわかっちゃう。解像感は同じでも、一眼レフで撮った絵と比べると明らかに深みが違うのだ。

そりゃそうだろう。コンデジの絵と135一眼レフの絵が同じであれば、世の中全部コンデジでいいことになっちゃう。解像度では並べても絵の深みでは遠く及ばない。このセンサーサイズの差こそが、絶対に乗り越えられない壁であり、それが大きなフォーマットの存在理由になっている。つまり、コンデジよりマイクロフォーサーズ、マイクロフォーサーズよりAPS-C、APS-Cより135の順に絵の深みは増す。そうでなければ135が存在する理由などないのだ。

今一度E-PL2とK-30の絵を比べてみると、やはりK-30の方が深みがある。たとえ広角端で解像度が落ちようとも、この差は埋めがたい。どう見てもE-PL2の絵は深みがなく薄っぺらい。どっちかといえばコンデジに近い絵だ。もちろん高感度耐性には雲泥の差がある。ここで誤解を恐れずに言えば、マイクロフォーサーズは「レンズ交換可能なコンデジ」だと思うのだ。いくらSonyセンサーになろうとAPS-Cを超えることはできない。センサーは大きいほど良いに決まっている。

結論として、K-30 + DAL 18-55mmは解像度では一部E-PL2に負けるかもしれないが、それだけでK-30をやめてE-PL2を持ち出す理由にはならないということだ。写真は解像度だけじゃないんだから、階調性や発色性も含め、「絵」として総合的に判断しなければならない。少々の大きさと天秤にかけたとき、やっぱり深みのある絵が得られる方を選ぶ。ここでK-30は「小さくしても使える」という武器を生かさなければならないのだ。そうでなければD7000の二の舞になってしまう。

そうすると、次のミラーレスはやっぱりFujifilmが本命か? でもあれは貧乏人に厳しいお金持ちカメラだから、PentaxがK-01のまともな後継を出してくれるのが一番良い。(笑)