醤油のまち 2012年5月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
フィルムカメラの時代、カメラの買い方には一つのポリシーがあった。それはフラッグシップ、もしくは中級機レベルから選ぶということである。決してエントリー機と呼ばれるものに手を出すことはなかった。フィルム時代のカメラというものは、AF性能など付加的な機能の面で差はあっても、カメラとしての基本機能はフィルムに一定時間露光を与えることでしかない。写真の画質はレンズとフィルムだけで決まるから、同じフォーマットであれば高いカメラも安いカメラも基本的に写りに違いはない。しかし、一般的に言って安いカメラは操作性が悪かったり、仕上げが安っぽいなど、持つ喜びという面では確実に高いカメラに劣る。またカメラは一度買ったら長く使うものだから、できるだけ満足度が高く、耐久性の高いものが望ましい。そうなると必然的にエントリー機というのは選択肢から外れて、そこそこの値段がするものから選ぶことになる。今手元に残っているフィルムカメラといえば、ニコンF3、F80、オリンパスOM-4Tiがあるが、いずれもそういう基準で選んだものだ。買うときは少々高かったが、基本的にフィルムカメラは壊れない限りいつまでも使えるものだから、そういう買い方で間違いはなかったのである。
ところがデジタルの時代になると、カメラは一生ものという考え方が根底から崩れることになる。技術革新のスピードがあまりにも速すぎて、あっという間に陳腐化してしまう。せっかく大枚はたいて買った最高級機であっても、3年もすれば最新機種に比べてスペック的に見劣りしてきて、売れば二束三文、ただの粗大ゴミに化けるのである。だから高級機には決して手を出さないという暗黙のルールができた。そもそもデジタル時代になってからカメラの価格がべらぼうに高くなった。フィルム時代のF3やOM-4Tiなどはフラッグシップと言ってもせいぜい12~13万で買えるものだった。ところが今のフルサイズデジタル一眼レフといえば中級機でも20万超えは当たり前、フラッグシップになると50万を超えることもザラだ。こうなるともはや経済的な理由で検討の対象にすら上らない。
さらに悲劇的なことに、かつては最高級機だけの特権であったハイスペックが数年もするとエントリー機のレベルまで「下りてくる」のだからやりきれない。そのいい例がD3200だろう。ちょっと前までニコンでは2000万画素を超える機種はD3Xしかなかったが、最も下っ端のD3200で一気に2400万画素まで上げてきた。それは上位機種のD7000やD5100をも上回るスペックである。デジタルカメラではこういった「下克上」は当たり前に起こることであり、それは中級機とエントリー機の関係においてもそうである。基本的に中級機とエントリー機というのは撮像素子などの基本部分が同じで、AF性能や連写速度など付加機能的な部分で差別化していることが多い。もちろん操作性の面でも1ダイヤルか2ダイヤルかの差を付けたりしている。ニコンで言えば、D7000とD5100の関係がいい例だ。どちらも同じ1600万画素センサーを採用して画像処理エンジンも同じであるから写りの面ではまったく同等なのだが、操作性の面では大きく異なる。ファインダーがプリズムかペンタミラーかの差もあって、カメラとしての魅力には大きな差があるだろう。もちろんそれらの付加価値的な面に魅力を感じるのであれば高い方のD7000を選べばよいのだが、しょせんデジカメというものは3年もすれば下位機種に性能面で追い越され、買い換えずにはいられなくなる。せっかく高い金を出して快適さを買ったとしても、その賞味期間はわずかの間だ。それなら少々の不便に目をつぶっても、安い機種を次々と買い換えていった方が得ではないか、そう思うのである。極端な考え方かもしれないが、僕はデジカメは画質がすべてだと思っている。しょせん消耗品のデジカメごときに質感など求める方がおかしい。だから画質が同じであれば安いエントリー機で十分という考え方が成り立つ。それをとことん使い倒して、古くなればまた新しい機種に買い換えればよい。それがデジタル時代のカメラの買い方だと思っている。
というわけでエントリー機至上主義を貫いているわけだが、問題はその買い時である。いくらエントリー機といえども発売された直後は結構な値段がする。一般的に言って、一眼レフなら7~8万円、売れ筋クラスのコンデジなら3万円前後が相場であろう。メーカーが次々と新製品を発売するのは、発売直後は高く売れるからである。しかしデジカメというものは発売されたその瞬間から、もう値下がりが始まっている。よほどの超人気機種を除いて発売後3ヶ月もすれば2割下落くらいは普通だし、1年経つ頃には半額以下になっていることも珍しくない。特にコンデジは値下がり率が極端で、初値で3万円前後したものが1年後には1万円台前半で投げ売りされていたりする。こういうのを見ると発売直後に飛びついて買った人は悔しいと思わないのだろうか? もちろん金が余って仕方がない人は少しでも早く買って自慢すればよいが、そうでない人は新製品に飛びつくのは賢明でない。それこそメーカーの思うツボである。
だから新製品には決して手を出さない、それが僕の基本方針だ。発売から1~2年経って半額くらいまで落ちてきたところを狙う。その頃には次の新機種が発表されていたり、生産終了の噂が流れていたりする頃であろう。しかしそんなことは気にしなくていい。新機種が出たとしてもその差はごくわずかだ。新機種で劇的に進化するなんてことは通常あり得ない。なぜならメーカーも技術開発のロードマップというものは描いているから、一気に進化させてしまうとその後が売れなくなる。だから小出しにバージョンアップしてくるのである。そんなごくわずかなスペックの差のために倍近い金額を出すのはバカバカしい。メーカーの思惑通り新製品に飛びついたら負けだ。その新機種が欲しければ、さらに次の新機種が出て値下がりするまで待てばいいだけのことだ。つまりデジカメというものは最新機種を追うのではなく、常に一世代前の機種を狙う、それを僕は「周回遅れ」と呼んでいる。
E-PL2にしても、E-PL3が出て約6割値下がりしたところで買ったから、ものすごいお買い得感がある。E-PL2は2011年1月末の発売だから、まだ1年半と少々しか経っていない。過去の機種のように思われているが、決して古い機種ではない。E-PL3で進化した点と言えばAFが少し速くなったくらいで、センサーは同じものだから画質は基本的に同じである。E-520を買ったときもE-620が出た後だったし、PowerShot S95を買ったのもS100が発表された後だった。その点では徹底している。常に一世代前を狙うことによって、最新ではないものの、そこそこ新しいものがリーズナブルな価格で手に入る。最新型を追い続けることに比べれば、そのコストは約半分で済む。僕にとってデジカメ選びはコストパフォーマンスが最優先なのだ。いくら高性能でもコストパフォーマンスの低い機種はいらない。
なぜそこまでシビアにこだわるのかと言うと、かつて自分にも新製品を追い続けた時期があったからだ。それは必ずしもカメラではなかったが、自分が買ったすぐ後に新製品が出たときの悔しさは計り知れない。しかもその価格が見るも無惨に下落していくのを見ることになる。こうなるとせっかく気に入って買った製品も、もう価値がないもののように思えてくる。デジタル製品の命は短く、新製品を手に入れていい気分でいられるのはほんの一瞬だ。次の新製品が出た瞬間に失意へと変わる。新製品とは旧製品を否定するために生まれてくるのだから・・。そんな悔しい思いは二度としたくない。だから僕はこう悟った。新製品に飛びつく奴はメーカーのカモだと・・
新製品が登場するのを見届けてから旧製品を買うことを心がければ、そんな悔しい思いは二度としなくて済む。それは例えて言えば、タイムマシンに乗って未来を見てきてから今の製品を買うようなものだ。次にどんな製品が出るか知った上で買うのだから、何ら悔いはない。その新製品も、さらに次の新製品が出ればまた安く手に入れることができるのだ。それからでも遅くはない。僕も常に新製品情報はチェックしているが、それは今買うためではない。もう1サイクル回って旧製品になったとき手に入れるためだ。こうやって常に周回遅れで新機種に乗り換えていけば、ローコストで「そこそこ新しい」環境を維持できるのである。よくデジタルカメラはフィルムカメラと違ってランニングコストがかからないと言われるが、それは大きな間違いだ。デジタルカメラのランニングコストとは、「カメラの更新にかかる費用」そのものである。それはフィルム時代には必要のなかったコストだ。決して安くないどころか、ヘタをすればフィルムより高くつく。必要なコストは可能な限り低くしなければならない。
繰り返し言うが、金が余りまくっている人は躊躇なく新製品を買ってメーカーに奉仕すればいいだけのことだ。しかし使える資源が限られているのであれば、それをできるだけ有効に使えるように、消費者が頭を使って賢くならなければならない。