船浮港 2004年4月 F80s / AF-S Nikkor 24-85mmF3.5-4.5G / TREBI 100C
自分の写真は使えるものがないということを前の記事で書いたが、それはほとんどがネイチャー写真だからである。ネイチャー写真というのはある意味便利なもので、たとえば自宅の庭で撮った花であっても言わなければどこで撮ったかわからない。最も安上がりな被写体と言える。その反面、たとえ外国で撮った写真であっても、それもまた言われなければわからない。そんな小さいものに限らず、たとえば海の風景だって、ただ砂浜と波が写っているだけではどこで撮ったのかまったくわからない。どこでも撮れるという意味でネイチャー写真は便利でもあるし、逆に地理的なアイデンティティーが薄れるというマイナス面も併せ持っている。自分にとっては圧倒的に後者の弊害の方が大きい。撮った場所がわからない写真は価値が低いと考える。よって、自分の中では「どこで撮ったかわからない写真はボツ」という基準を作りたいと思う。
今回は2004年に西表島を訪れたときの写真。西表島の最も西の端に船浮という小さな集落がある。そこへ通じる道路は一本もなく、陸続きでありながら船でしか行けないという文字通り陸の孤島。一日に3便ほどの連絡船だけが唯一の交通手段だ。道路が通じていないため、村には車というものが一台も存在しない。もちろん必要もない。もともとそこへ行く予定ではなかったのだが、たまたま連絡船が入港していて飛び乗った。漁船みたいだけれども、あの連絡船に乗ってやって来たのだ。

デイゴの花散る 2004年4月 F80s / AF-S Nikkor 24-85mmF3.5-4.5G / TREBI 100C
ここは船浮のメインストリートか? 歩いている人なんて誰もいない。
以下、かろうじて船浮であることがわかる写真。
船浮子ども会館 2004年4月 F80s / AF-S Nikkor 24-85mmF3.5-4.5G / TREBI 100C
なぜ撮ったのかわからないが、たぶん船浮に着いて一番最初に目についた建物。
船浮小中学校 2004年4月 F80s / AF-S Nikkor 24-85mmF3.5-4.5G / TREBI 100C
ほんの数人の子ども達のためだけにある学校。村の人の職業は教師が多いらしい。
船浮御嶽 2004年4月 F80s / AF-S Nikkor 24-85mmF3.5-4.5G / TREBI 100C
沖縄の集落には御嶽(ウタキ)と呼ばれる遙拝所が必ずある。鳥居があって一見神社に似ているが、内地の神道とは異なるもの。
通信室跡 2004年4月 F80s / AF-S Nikkor 24-85mmF3.5-4.5G / TREBI 100C
太平洋戦争時の遺構も残っている。
内離島(パナリ) 2004年4月 F80s / AF-S Nikkor 24-85mmF3.5-4.5G / TREBI 100C
典型的なダメ写真。自分の写真はほとんどがこういうのばっかり。漠然としてポイントになるものがない。かろうじて沖縄であることはわかるかもしれないが、別にどこにでもありそうな風景。
この船浮については心残りなことがいっぱいある。まず集落の中はまったく撮っていない。沖縄の家というのは台風に耐えるため頑丈なコンクリート造りになっているのが一般的で、写真的にはあまり魅力がない。だから撮らなかったのだろう。その頃は絵になるかどうかが問題だったからだ。しかしそんなことはどうでもいい。僻地の中の僻地へ来た証に、この村のたたずまいを残したかった。戦争遺跡へ至る途中、素堀の味のあるトンネルもあったはずけど撮らなかった。また一山越えれば「イダの浜」という美しい砂浜があったのだが、そこへも行かなかった。ちょっとやそっとで行ける場所ではないだけに、悔やまれることが多すぎる。次いつ行けるかなんてわからない。
このときコンデジも持っていたはずだから、もしかしたら何枚か撮ったかもしれないのだが、その後ハードディスクが破損してほぼ一年分の写真が全部吹っ飛んでしまった。もはや知る由もない。自分が今でもデジタル写真を信用できないのはその事件が発端だ。