2015年4月 E-PL5 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II R
次も同じ日の撮影だが、先の大鎌小学校から同じ道を進むと串本町に入り、里川という地区の中に昭和45年に廃校になった和深小学校里川分校跡がある。
この廃校は大変わかりにくい場所にあるのだが、ここでもストリートビューが役に立った。航空写真からはその存在を確認することはできるのだが、どこから入るのかがよくわからない。ストリートビューで付近を確認すると発泡スチロール工場があり、その裏に隠れて道路からは見えない模様である。しかし注意深く探すと発泡スチロール工場の横から人だけが通れる細道が伸びていることがわかった。ストリートビューからわかるのはそこまで。実際現地に行ってみると、その細道はまったくそのままの形であった。その細道を登って行くと墓地があり、さらに続く階段の向こうに学校らしき建物を発見したのである。まったく初めての場所なのにこんな簡単に見つけられるなんて、凄い時代になったもんだ。(笑)
この校舎を見つけた瞬間、大変なインパクトがあった。わざわざこんな林の中に学校を建てるのだろうか? その立地からして非常に異様な雰囲気を覚える。
ちなみにその階段の先にはこんな神社があった。これはこれでまたミステリアスな雰囲気である。
備品類はほとんど残っていないのだが、唯一といっていいほどの残留物がこれ。こんなの見たこともないんだが、箱型の電池だろうか?
一歩中に入って呆気にとられた。すごい荒廃ぶりである。これまで競智小学校、大鎌小学校と見てきたが、それをさらに上回る激しい崩壊だ。
床も朽ち果ててとても歩ける状態じゃないが、黒板や机が残っていて、かろうじて学校の面影が見られる。
奥の机には本とか残ってそうだけど、さすがにあそこまで踏み込む勇気はない。(笑)
今度は裏手に回ってみた。この突き出した部分は先生の宿舎と思われる。
奥の方に薬品の瓶のようなものが見えるが、さすがに入るのは憚られる。(^^;
ここが先生の居住スペースだろう。テレビの裏板のようなものが見える。
訪れるまでこの廃校にはそれほど期待していなかったのだが、非常に大きなインパクトがあり印象深いものとなった。これほど崩壊した廃校が未だに解体されずに残っていること自体、奇跡ではないだろうか?
ちなみにこの廃校をネットで検索してみても、自分のもの以外出てこない。ということはネット初公開ではないだろうか?(笑) ここは念入りに調べて行かない限り発見することが難しいから、その可能性は高い。