カメラは実用品だ

投稿日:2018年9月12日 更新日:

写真論

実はE-M10mk2は9月1日に届いていたのだが、全く使っていない。一応、当日は初期不良がないかチェックしたり、設定をいろいろ変更して自分好みに合わせたりするが、翌日には指一本触れなかった(笑)。その後も一度だけ外で30分ほど試し撮りしただけで、全くと言って良いほど触ってない。今となっては買ったことすらほとんど忘れている(笑)。

これって別に欲しかったからじゃなく、安いから買っただけだからね(笑)、まあそうなるのも当然だろう。買った瞬間に安心しちゃうんだ。そしてすぐに興味がなくなる。これも型落ち狙いの宿命だろう。現行品なら金さえ出せばいつでも手に入るから、買って安心する必要はない。使いもしないものを買う必要もないだろう。でも型落ちはそうは行かない。タイミングが勝負なんだ。ギリギリまで値下がりを待っていると突然品切れになったり値上がりしたりする。底値狙いはイチかバチかの危険な賭けである。だからいつもハラハラしてるんだ。それで運良く捕獲できたら儲けもの、それだけで安心しちゃう(笑)。もともと必要があって買ったわけじゃないから、その瞬間に興味がなくなるのも当然である。

これほどカメラに興味がなくなったのは2年前くらいからだろうか。その頃からカメラは「実用品」になった気がする。言い換えれば「道具」ということだ。実用品というのは「必要なときだけ使うもの」と定義できる。たとえば自転車。通勤通学や買い物の足として乗るのはもちろん実用と言えるだろう。それは必要があるから乗っているわけだ。しかしサイクリングなんて全く用もないのに遠くまで自転車に乗っているわけだから、それは実用ではなく完全な趣味である。

これと同じことはカメラについても言える。自分の中ではいつからかカメラは旅に出たときしか使わなくなった。つまり旅や登山の記録として必要だから使っているわけで、用もないのにカメラに触ることはない。かつてのようなネイチャーフォトはもちろん、近所のお散歩写真なんてのも一切撮らない。そのような「写真のための写真」は必要性が全くないものであり、完全に趣味の領域である。もはや「写真を撮りに行く」という行為自体に興味がなくなったのだ。

そして非実用の最たるものが「テストのためのテスト」だろうと思う。全く用もないのにレンズの描写力やセンサーの性能を試すためだけに撮影をすることは実用性からは最も遠く離れている。それはカメラを道具としてではなく、おもちゃとして扱っているからである。言い換えれば実用品の対義語は「愛玩品」であろう。カメラは使うものではなく愛でるものなのだ。

世の中のカメラマニアの多くはカメラを実用品ではなく愛玩品として扱っている。フィルムカメラなら用もないのに何度も空シャッターを切ったり、デジタルカメラならその辺の小物を撮影して高感度ノイズのテストをしたりする。そして結果に一喜一憂するわけだ。かつての自分もそういうところがあった。昔は手に入れたカメラやレンズの性能が気になって仕方がなかったから、しょっちゅうテスト撮影をしていた。しかし今はそういうものに全く興味がない。ちゃんとした写真が撮れれば何でも良い。用もないのに写真を撮りに行かない。カメラには一切触れない。実用品になるとはそういうことだろう。カメラなんて写真を撮るためのただの道具に過ぎないんだ。

デジタルカメラの時代になってから、写真ではなく「カメラのテスト」が趣味(あくまでも本人は認めないが)っていう人間が圧倒的に増えた。それは言うまでもなく、タダで何百枚でも撮れ、結果をすぐにパソコンで確認できるからだ。フィルム時代ならこんなことはあり得なかった。そして等倍で表示してレンズは開放から四隅までパキパキじゃないとダメだとか評論するわけだよ。それをやられるとメーカーもたまらないから、巨大で超高価なレンズしか作れなくなる。

カメラの性能なんて一切興味がない。高い金を出せば良いのは当たり前のことだからだ。それは自分の能力とは全く関係がない。しかし時々勘違いする奴がいるんだな。カメラの性能をあたかも自分の能力であるかのように自慢する奴が価格.comのクチコミあたりで現れる。当たり前だがそのカメラを作ったのはお前じゃない。たかだか数十万出して買っただけのことだ。そういう奴はいわば自分の経済力に酔いしれてるだけなんだよな。金で買えるものなんてしょせん大したものじゃないんだよ。

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