リセット願望

投稿日:2013年10月21日 更新日:

デジタルカメラ

カメラは迷っているうちが楽しいと言われる。実際に買うまではあらゆる可能性があり、あれこれと妄想を巡らすことができる。妄想するだけならタダだから、興味のあるカメラを片っ端から情報集めをし、スペックや使い勝手を比較しては楽しんでいた。いわば脳内シミュレーションである。今から数ヶ月前、K-30かD5100かG5かでさんざん迷っていたことはご存じだろう。それこそ一日に何度も気が変わるくらいグルグルと無限ループを繰り返したが、それはそれで楽しかったのだ。

しかしあれほど悩んで決めたはずなのに、D5100を買った瞬間に興味がなくなった。そしてすぐ返品した。これでまた白紙に戻ったと一時は清々しい気分だった。そこでやめておけばよかったのに、立て続けにD7000を購入した。思えばこの時、6万円近くまで値下がりしていたから、これは最後のチャンスだと思って背中を押されたことは間違いない。しかしその後さらに値下がりし、6万円を切った。今は少し値上がりしているが、それでも61000円台だ。つまり急ぐ必要はなかったのだ。これは完全に時期尚早だったと言える。

そしてD7000も買った瞬間に興味がなくなった。本来なら手に入れた喜びでウキウキしているはずなのに、なぜそうなるのか? 結局、買うことによって可能性が一つに収束してしまうことを認めたくないのだろう。つまり、D7000を買うことによって今後はニコンで行くということが大方決まってしまうし、何かを買うにしてもせいぜいレンズをどれにするかくらいの悩みしかない。そうなると何か寂しい気がして、やれニコンだ、ペンタックスだ、パナソニックだと思い悩んでいたあの頃が懐かしく思えてしまうのである。そしてまたそこへ戻りたい・・という気持ちが働く。すべてをリセットして無限の可能性をもう一度手に入れたいのだ。


そもそもこのカメラ選びがどこから始まったのか大元をたどっていくと、フォーサーズの将来性が危ないからE-620の後釜を見つけるというところから始まったのである。別にE-620に不満があったわけではないのだが、いつ終わるかわからないフォーサーズに不安を感じ、早く乗り換えたいと焦りを募らせていた。そしてフォーサーズ終了は現実のものとなった。しかしオリンパスがフォーサーズから撤退したといっても、手元にあるE-620が急に使えなくなるわけではない。レンズだってまだ売っている。いずれ修理が不可能になるときは来るだろうが、壊れない限りいつまでも使い続けることができる。そしてその描写に満足していれば他に乗り換える必要などこれっぽっちもないのだ。つまりこのカメラ選びはいわれのない焦燥感がもたらした結果であり、もともと何も買わないという選択が正しかったのである。

現在、D7000を売る、売らない、売る、売らない・・で揺れに揺れている。少しでもD7000の良い面を発見すれば売るのを思いとどまり、悪い面を発見すればただちに売りたくなる状態だ。まさに数時間単位でコロコロと気が変わり、無限ループを繰り返している。いったい本心は売りたいのか売りたくないのかどっちなのだ?

こんな時、決め手は「そのカメラを必要としているか?」で考えるしかないだろう。その際「いつか必要になるかも?」は要らないとみなす。そういうものはたいてい一生必要のないものだ。あくまでも「いま必要か?」が重要なのだ。ましてデジタルカメラは生ものだから、早く使わないとすぐ陳腐化する。では今は満足に使えるレンズがないから仕方ないとして、仮にレンズを買ったとしたら使うか?を考えてみよう。答えはNOだ。こんな巨大なカメラはもう体力的に持ち歩くのが無理だから、使わないことは初めからわかりきっている。それがすべての答えだ。

売ってから後悔はしないか? 実際売ってから買い戻したものは多い(爆)。しかし手元に置いておきたいという理由だけで残すことは絶対に許されない。それは実用品ではなく所有欲を満たすだけのものになるからだ。カメラは道具であって、使ってナンボである。使いもしないカメラを飾っておくだけの余裕はうちにはない。本心がどうなのかはわからないが、どう考えても売る以外の選択はあり得ないのだ。

現在ヤフオク相場では、保証付きの新同品であれば55000円は行きそうな勢いである。さすがにD7000のリセールバリューは高い。このくらいなら損失は授業料と思って捨ててもいいだろう。これが3万円とかなら当然手元に残しておくが、5万以上となると明らかに売った方が得だ。どうせ売るなら早く売ってしまった方がいい。万一キズを付けてしまうと価値が大きく下がる。そんなこと気にしてたら使う気にもなれない。ヤフオクも長いことやってないとどうしても億劫になってしまう。レンズを売りに出した勢いで、ついでにD7000も売ってしまうのが一番良いと思われる。後からだとやっぱりめんどくさ・・となってしまうに違いない。

これですべてをリセットして白紙に戻せるのなら安いものだ。今度はまた自由な立場で思う存分妄想を楽しむがよい(爆)。今まで事あるごとに「将来性」という言葉を持ち出してきたが、デジタルカメラにおいてはその言葉はあまり意味を持たないと思うのだ。デジタルカメラ自体が発展途上のテバイスだから、将来どう転ぶかなんて誰にも予測できない。一眼レフはミラーレスに置き換わるとか、APS-Cは廃れるとか、マイクロフォーサーズが終了するとか、そんな心配をしてもまったく意味はないのである。ニコンだから絶対安全なんてことも言い切れない。デジタルカメラの世界においては特定のメーカーとかマウントにこだわる意味はほとんどなく、その時その時で一番良いと思えるシステムを購入すればいいだけのことだ。ボディー単体とさほど価格の違わないレンズキットを購入して数年使い続け、もっと良いのが出てくればメーカーごとごっそり入れ替えたって構わない。要するに「レンズ固定式コンデジ」の感覚で使えばいいのだ。それがデジタル時代の賢い買い方だろう。メーカーにとってはありがたくない客だろうが、元はといえばそういうシステムを作ったメーカーの方が悪いのだ。

とここまで書いてきたが、よくよく考えてみればこれは自分の人生とまったく同じではないか? これまで一つの可能性に縛られるのが嫌で人生のリセットボタンを何度も押してきた(爆)。何か行き詰まってくると、すべてを捨てて真っ白に塗りつぶしたくなるのだ。いつも行方の定まらない不安定な状態に置いておきたくなる。その結果がこれだ(爆)。もう習性だから仕方がない・・

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