2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
三重県飯高町(現松阪市)森から蓮ダムを越えて県道蓮峡線をさかのぼっていくと、その終点に蓮(はちす)という廃集落がある。「青田」と同じく蓮ダムの建設によるもので、昭和62年頃の廃村とされている。ここは以前「いつまでもあると思うな」という記事で触れたのだが、かつて森小学校蓮分校の木造校舎が存在していた。それを18年前に目にしたことはあるのだが、当時ネイチャー以外は眼中になかったので、写真をまったく撮っていなかった。その9年後、再び訪れた時には校舎は取り壊されており、跡形もなくなっていた。18年前に写真を撮らなかったことを心から悔やんだのだが、なぜかその時も写真を撮らなかった。もしかしたら撮ったかもしれないのだが、ハードディスクの故障で消失してしまい、何も残っていない。それでもう一度、何らかの痕跡が残っていないか確かめるために9年ぶりに再訪したのである。
県道蓮峡線はいわゆる行き止まり路線であるが、宮ノ谷渓谷などの景勝地があるために比較的車の通行量がある。しかし奥へ行くほど人の気配はなくなり、鬱蒼とした杉林が茂って心細くなってくる。トップの写真は蓮地区の入口付近にあった廃屋。
2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
木戸はすべて閉ざされ、人が住まなくなってかなり長い年月が経過していることがうかがえる。
2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
その廃屋の傍らにはなぜか廃トイレ(笑)。明らかに民家のものではなく、公衆トイレと思われる。このあたりはかつて登山基地として賑わっていたのかもしれない。
2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
さらに奥へ進むと、バラック小屋のようなものを発見。かなり散らかっているが、生活用具のようなものが見える。小屋の奥にはテントが張られており、ヘルメットがぶら下がっていることから、林業関係の人が寝泊まりする場所と思われる。
2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
そしてここが県道蓮峡線の終点。これより先は未舗装の林道となる。右側の道を入ったところが、かつて分校のあった場所だ。
2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
分校のあった場所は完全な更地となり、何も残っていない。写真を撮らなかったのが本当に悔やまれる。跡地にレジャー施設でも作ったのかと思っていたが、9年前とまったく変わっておらず、更地のままだった。
2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
そして、かつて校門があった場所に立っているこのコンクリート像こそが、分校があったことを物語る唯一の痕跡だ。よかった、まだ残っていた。
2012年10月 E-PL2 / M.ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6II
その像の傍らにあった水飲み場?花壇?だろうか。現在も残る痕跡はこれだけである。
かつて写真を撮らなかったことは痛恨の極みではあるが、今回の訪問で痕跡だけでも見つけられたことはよかったと思う。ここまで来る者は誰もおらず、人っ子一人いない跡地で感傷に浸ってみるのもよい。
コメント
分校跡の像、いい味出してますね、
廃校なのに寂しさを感じさせないところがGoodです。
>yamaさん
これがあることで少しほっとした気分になるんですね。
よくぞ残してくれたと思います。