旧中辺路町立芦尾/二川小学校兵生分校

投稿日:2016年5月31日 更新日:

廃校/廃村

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2016年5月 K-30 / SIGMA 17-50mmF2.8EX DC

昨年から行こうと思って先延ばしになっていた廃校にようやく行ってきた。熊野古道中辺路が通る国道311号線の福定から富田川に沿っていくつかの集落からなる兵生(ひょうぜい)という地区がかつてあった。川沿いの林道を約8キロ入ったところには兵生の中心であった宮代(みやしろ)という廃村がある。その集落の中にかつては兵生分校が存在していたが、住民の集団移転に伴い昭和49年に閉校となった。現在は誰も住んでいない完全な無人地帯である。

ところがこの場所、行くまでが大変な苦難である。林道は極めて道が悪く、落石や陥没、冠水は当たり前の悪路で途中からは未舗装となる。車高の低い車は絶対やめた方がよい(笑)。あまりに酷いので最後の1キロは歩いた。そしてようやくたどり着いたのがトップ写真の吊り橋だ。この橋を渡ったところに集落跡があり、何軒かの廃屋も見られる。

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橋を渡って、およそ学校などありそうもない細い山道を5分ほど歩いて行く。

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すると左に現れる石垣にわずかな学校の気配が感じられる。

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そして運動場と思われる広場の向こうに姿を現したのが旧校舎だ。もはや原形をほとんどとどめておらず、柱だけでかろうじて建っている状態である。

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どう見ても廃屋そのものである。

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校舎に隣接する離れはトイレ、というより便所と呼ぶのがふさわしい(笑)。この木の扉は懐かしいなぁ・・

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廊下にかろうじて学校の名残が感じられる。

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閉校後、しばらくは牛舎として使われていたようで、床はすべて外されている。

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これはよく見るとベータビデオデッキ一体型のテレビのようだ。しかし昭和40年代にビデオがあったのか? 後から持ち込まれたものかもしれない。

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これはいつ倒壊してもおかしくない状態だろう。震度4程度の地震でも危ない。この場所にいること自体が相当危険である。

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「図書・教材・衛生」室と書かれたプレートだけが、かつて学校であったことを物語る唯一の証である。教材の類は何一つ残っていなかった。

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学校には付き物の手洗い場。

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少し演出の臭いもするが(笑)、ボールはもともとここにあったものだろう。

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隣にはもう一棟校舎があったはずなのだが、完全に倒壊してしまっていた。数年前の写真ではまだ残っており、この2~3年の間に倒壊したようだ。

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遊具と呼べるものはこれだけしか残っていなかった。少し前の写真では閉校記念碑やトーテムポールが写っていたが、そういうものも見当たらなかった。

昭和40年代の廃校もいくつか見てきたが、ここまで酷いのは初めて見た。こういう廃墟状態であることは行く前からわかっていたのだが、さすがにここまで朽ちているともう何が何だかわからないので廃校探索の面白味には欠ける。しかし、かつてはここに人の生活があったことに思いを馳せるには味わい深い場所である。

他のブログを見ているとマニアが結構訪れているようだけど、二度と行きたくない!(爆)

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