廃景

別子銅山跡

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愛媛県新居浜市の山奥に眠る別子銅山跡。全く予定になかったんだけど、ついでに行ってきた。別子銅山といえば東洋のマチュピチュとして知られる東平地区が有名であるが、ここはそれとは全く別の場所。1691年(元禄3年)から1916年(大正5年)まで使われていた古い銅山跡である。

かつてはここに集落があり、学校や病院まで備えた一大都市を形成していたと言われる。現在はその遺構が銅山越ルートとして整備され、ちょっとした登山コースとして人気がある。

最初は江戸時代の史跡によくある立て札だけが立っていて何もないようなところを想像していたのだが、そうではなくてちゃんと石垣が残っていたり、場合によってはレンガの壁が残っていることもあった。これは予想以上に面白いところであった。

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2017年5月 K-S2 / smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6ED WR

登山口から入って最初に出会う近代遺跡は円通寺跡である。寺と言っても元々あったものではなく、この銅山のために建てられた専用の墓所である。現在は石垣といくつかの墓石のみが残っている。


かつて小足谷集落があったとされるところ。石垣の上の広場には醸造所跡があった。


醸造所跡にはレンガ造りの煙突が残っている。


さらにその先、ひときわ目を引く遺構が接待館跡である。明治時代になると各界の要人が訪れるようになったため、その宿泊のために建てられた。


レンガの壁が残っているのはここだけである。十字型の小窓が特徴的だけど、これは単なる意匠なのか、それとも何らかの意味があったのだろうか?


山の神を祭る山神社。わずかにその痕跡を見ることができる。


この高い石垣の上には測候所があった。


この平地は小足谷尋常高等小学校が建っていた場所。最盛期には298人もの学童が通っていたと言われる。今は跡形もなく植林されている。


劇場跡と大階段。階段の大きさから多くの人が出入りしていたことが窺える。京都から役者を招いて歌舞伎の上演が行われたと言われ、銅山で唯一の娯楽施設であった。


劇場跡の隣は山林課のあった建物である。延々と続く石垣に圧倒される。


さらにその奥、高橋精錬所跡がある。中央の高い石垣がそれだ。また白い立て札のある場所は住友病院跡。左下に見えるアーチはそこへ渡るための橋であった。

もう少し先のダイヤモンド水と呼ばれる休憩所で折り返し。ここまで写真を撮りながら徒歩1時間くらい。道は整備されているが、ハイキング程度の装備は必要。さらに銅山越を経て東平まで行くには一日コースとなる。

贅沢な話ではあるが、天気が良すぎてこういう遺跡を撮るには最悪の光線状態であった。まだら模様になって全く写真にならない。写真を撮るなら薄曇りくらいの方が良い。

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