2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
季候が良くなってくると写真を撮りに出かける機会も増えるだろう。今日も梅を求めて歩いてきたのだが、良い風景に出会えると物欲なんてどうでもいいと思えてくる。そもそもカメラは写真を撮るための道具に過ぎない。カメラは手段であって目的ではないはずだ。ここをはき違えると手段と目的が容易に逆転する。経験的に言って、物欲が高まるのは写真を撮っていないときである。その典型例が多忙なサラリーマンだ。カメラを買っても撮る時間がないので、さらにカメラを買うことでストレスを発散しようとする。時間がなくても金さえあればカメラは買えるからだ。自分もその症状に陥ったことがあるので気持ちはよくわかる。(爆)
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
したがって物欲を抑えるには写真を撮ることである。どうやって良い写真を撮ろうか? そのことに心血を注いでいる限り、物欲は沸いてこない。あるのはもっと写真を撮りたいという写欲だけだ。物欲と写欲は常に補完関係にある。そのことを数式で表すと
物欲+写欲=一定
のようになるであろう。つまり一方が増えれば他方が減る関係にある。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
特定の被写体を撮るために特別な機材が必要になることはあるにしても、新しいカメラを買ったからと言って良い写真が撮れるなどということはあり得ない。そんなことは誰でもわかり切っている。しかしそこが人間の弱さなのだ。思うように写真が撮れないと、つい機材にすがりたくなる。新しいカメラを買ったら良い写真が撮れそうな幻想に囚われてしまうのである。得てして人間は安易な方に流されやすい。良い写真を撮るためには努力も時間も必要だが、カメラは金さえあれば手に入れることができる。そこで手っ取り早くカメラを買うことで解決しようとする。もちろんそれが根拠のない幻想であることは言うまでもないのだが・・
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
デジタルカメラは新しいものほど性能が向上して画質が良くなっていることは間違いない。よって人はその魔力にすがりたくなる。しかしカメラの性能と写真の良さは無関係である。解像度が高ければ良い写真なのか? ノイズが少なければ良い写真なのか? そんなはずはない。逆説的に言えば、大昔の木村伊兵衛や土門拳が撮ったモノクロ写真は良い写真ではないのか? そんなはずはないだろう。つまりカメラ、もっと言えば画質と写真の質とはまったく無関係なのだ。そんなことは言うまでもない常識のはずだが、ややもするとここをはき違える人間があまりにも多い。
2013年3月 E-620 / SIGMA 105mmF2.8EX MACRO
今のカメラは2000万画素超が当たり前になり、高感度でもノイズの少ない映像が得られるようになっている。数年前のカメラとは隔世の感がある。だから古いカメラでは良い写真は撮れない、常に最新のカメラに置き換えなければならないという強迫観念に囚われる。しかし数年前のカメラが本当にダメなのか? 少なくともそのカメラが登場した当時は最新型であり、その時点では「良い写真」が撮れるカメラであったはずだ。その論法で行くと、いま良い写真だと思っている写真は数年後には確実に良い写真ではなくなる。写真自体は何も変わっていないのに、新しいカメラの登場で価値がなくなるとすれば、それはもともと良い写真ではなかったということに過ぎない。本当に良い写真は画質とは無関係に普遍的である。
2013年3月 E-620 / SIGMA 105mmF2.8EX MACRO
デジタルカメラは1200万画素を超えたあたりから、A3程度に伸ばすには十分な実力を持つようになった。では一般人がプリントするサイズは普通どのくらいだろうか? 一番多いのは何と言ってもフィルム時代からなじみのあるL判だろう。次に2L判やハガキサイズ。そして特別気に入った写真であれば奮発してA4や4切くらいに伸ばすことはあるだろう。でもそれ以上となると普通はやらない。プリント料金が一気に高くなるからだ。まあ写真を趣味にしている人間で、写真展でもやるならA3ノビくらいに伸ばすことはあるだろう。でも一般人は普通そこまで。それ以上のA2、A1、A0なんてのはよほど有名にならない限り、一般人には縁がない。要するに今のデジタルカメラは完全にオーバースペックなのである。A4くらいのサイズで見れば、最新のカメラも5年前のカメラも区別は付かないであろう。一般人が一生やらないような大伸ばしのために過剰なスペックを追い求めているのは滑稽な構図である。そうやって最新型のカメラを欲しがる人間の言い分はこうだ。自分もいずれ有名になって写真展をやるかもしれないから、その時に備えて大伸ばしに耐えられるスペックが必要なのだと・・。そんなことは絶対にないと断言する(笑)。そういう人間に限って、せいぜいブログにVGA程度の画像を載せるのが関の山なのだ。こういうのを「いつか自分も」症候群という。(笑)
2013年3月 E-620 / SIGMA 105mmF2.8EX MACRO
ありもしない架空の写真展のために無駄なスペックを追い求めるのはやめよう。そんなのは本当に写真展をやる段取りになってから考えたらいい。巨大なプリントを展示できるスペースなんて借りるだけで金もかかるし、メーカー系のギャラリーは厳しい審査に合格しなければ開催できない。カメラごときにうつつを抜かしている暇があったら、まず実力を上げろと言いたい。すべてはそれからだ。普通の人間には5年前のカメラだろうがまったく問題はない。たとえ画質が劣ったとしても、良い写真はいつまでも良い写真だ。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
一般的に言って、プロよりもアマチュアの方が新しい機材を持っていることが多い。カメラの台数が多いのもアマチュアの方だ。もちろんプロだって必要に応じて機材を更新することはあるが、それはあくまでも必要に迫られてという点が異なる。プロの場合、カメラは商売道具だから、当然それは原価計算にはね返ってくる。よって費用対効果を考えて、必要もないカメラを買ったりはしない。本当に何が必要で何が必要ないかをわきまえている。たとえばの話、Windows8が出たからといって、会社で使っているPCのOSを入れ換えたいと申請してもまず却下されるだろう。ソフト開発でもやってない限り無理だ。OSを新しくしたからといって業務効率が改善するわけではないからだ。だから企業では未だにXPを使っているところが圧倒的に多い。サポートが切れるまではXPで我慢しなさいということになる。費用対効果を考えると当然だ。しかしアマチュアの場合、コストを度外視していくらでも好きなカメラを買うことができる。まったく必要性もないのに興味本位だけで次々と新しいカメラに手を出してしまう。そしてややもすると写真を撮るよりカメラを買うことが目的になってしまうのがアマチュアの陥りやすい罠なのだ。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 40-150mmF4-5.6
他の写真ブログをよく見ることがあるが、時たまカメラばかり買い換えているブログに遭遇することがある。この前新しいカメラを買ってベタホメしているかと思えば、その3ヶ月後にはもう別のカメラに浮気していたりする。そして前のはちゃっかり売却していたり・・(笑)。別に金が有り余っていて買うのだから他人にとやかく言われる筋合いはないのだが、こういうのって読者から見ると節操がないというか、すごく落ち着きがないように映ってしまう。そもそも個人ブログで最も大事なのは思い入れと一貫性であると思う。これがないブログには魅力を感じない。他人が何と言おうが「このカメラが好き!」と一貫して主張しているところに読者は共感を覚えるのである。それがブレまくっているとそのたびに裏切られた気持ちになる。3ヶ月くらいの短い期間でヨイショするカメラがコロコロ変わっているようでは読者はついて行きようがない。そして挙げ句の果てにあのカメラはダメだとか全然違うことを言い出すと、もう何をかいわんやである。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 40-150mmF4-5.6
それは極端な例だとしても、得てして写真系のブログではカメラがちょくちょく変わることは多い。むしろ同じカメラを長年使い続けていることの方が稀だ。デジタルカメラの性格上、ある程度やむを得ない面はあるが、それでも1年くらいでコロコロ変わるのは早すぎだと思う。そんなくらいではカメラとじっくり向き合う時間もないし、読者も忙しくてついて行けない。これもまた往々にしてよくあるのだが、次から次へとカメラを買い換えているブログで「おおっ」と思えるような写真を見たことがない。カメラの台数と写真の質は反比例すると言えるだろう。それはおそらく写真よりカメラを買うことが目的になってしまっているからだ。逆に古いカメラをいつまでも使い続けているようなブログにこそ、良い写真を見つけたりする。それはカメラには無頓着で、写真としっかり向き合っていることの証拠だろう。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 40-150mmF4-5.6
つまり言いたいことはこうだ。カメラなんぞに心を奪われるな。写真と向き合え。石の上にも三年、いやカメラの上にも三年か? そわそわと落ち着きなく新しいカメラばっかり欲しがってる限り、写真なんて上手くなるはずがないし、そんなブログには読者もついて来ない。少なくとも2年は腰を据えて同じカメラと向き合い、そのカメラについて何でも語れるくらいの知識と技量を付けよ。そうすればコアな読者は必ずついて来る。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
最近マイクロばっかり使っていて久しぶりにE-620を使ってみたのだが、やっぱり一眼レフはいい。光学ファインダーで撮る気持ちよさがぜんぜん違う。操作性だって、E-PL2よりボタンの数がはるかに多いからストレスをまったく感じない。気持ちよく撮れるって大事なファクターなんだと思った。E-620はやっぱりいいカメラだ。何と言ってもこの大きさがいい。(ミラーのある)一眼レフとしては最も小型軽量な部類に属する。これ以上でかいカメラは無理。「大きいカメラは結局使わない」が自分の持論だから、ニコンなんて買ったってどうせ使わないのは目に見えている。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
それにこれだけ写れば十分だろう。少なくともISO200で撮ればノイズなんてまったく気にならない。これ以上の画素数も不要。無駄にディスク容量が増えるだけだ。画面周辺までシャープなのはセンサーサイズの小ささから来るフォーサーズの美点である。これがAPS-Cだと同等の画質を得るためにはレンズにも相当投資しないと難しい。センサーにゴミが付かないのもフォーサーズの大きな長所。やっぱり元祖は強いよ。ゴミを気にしなければならないようなカメラは鬱陶しくて使いたくない。
2013年3月 E-620 / ZUIKO Digital 14-42mmF3.5-5.6
マウントアダプターでニコン用のレンズだって使えるし、ちゃんと資産は生きている。すでに超広角20mm相当から超望遠800mm相当までのレンズが揃っている。追加投資はゼロ。バッテリーはE-PL2と共通なので使い回しできるのがとても便利。ニコンと違って安い互換品も使えるしね。地味だけど、充電器をいくつも持たなくていいってありがたいことだ。
2013年3月 E-620 / SIGMA 105mmF2.8EX MACRO
これ以上何を求めるものがあるというのか? E-620で十分じゃないか。フォーサーズ最高だ。こうなったらE-620をとことん使って、E-620でもここまでできるということを示してやろうじゃないか。それがE-620ユーザー、ひいては数少ないフォーサーズユーザーを元気付けることになれば良い。たとえフォーサーズが終わろうとも関係ない。フォーサーズは不滅だ。
コメント
「架空の写真展のために無駄なスペックを追い求めても仕方が無い。」
ご尤もだと思います。アマチュアが高画素を追い求めるのは、フィルム時代に4×5の画質に少しでも近づこうとセミ版や6×7に走ったのと同じ事でしょう。私も鉄の時代にペンタ67を買いましたが、中判で撮ってもだめな写真はだめで、それより35mm版の機動性を生かして決めた写真の方がよっぽど良かったので、67は売ってしまいました。今でも大金かけて全紙や半切に伸ばそうなんて思える作品は撮れませんから、2000万画素なんて必要ないですね。
ところで、この記事の作品No. 9と12、大好きです。こんな作品は大伸ばしにして展覧会をしてくださいよ!。
こんばんわ
気持ちは分かりますが、写真家でなく写真機家とはそうゆうもんです。「サンダー平山氏 談」
今僕は、それに「活動」がついて「活動写真機家」にかぶれてしまいました。動画がやばいです。
>まっさーさん
中判で鉄は辛いですよね。(笑)
やっぱり必要のない高画質を求めて大きなカメラを使うより、小さいカメラでサクサク撮る方が結果的に良い写真が撮れると思います。
フィルム代がもったいないからという理由でデジカメを使っている人が全紙や半切に伸ばすとも思えないですしね・・(笑)
No.9と12ですか、自分もそう思ってたんですよ。こういうのって「ああいいな」という一瞬のひらめきなんですよね。でかいカメラを振り回しているとそのひらめきを逃しちゃいます。
でかいカメラいらねー!です。(笑)
>山内さん
世の中には写真家と写真機家という二種類がいるようですね。
言葉は似ているようでもまったく別の人種と思った方がいいですね。
貧乏人でもなれるのは前者の方です。(爆)
動画はコンデジで十分でしょ?(笑)